キミのキオク   -前篇-

 

 

 

 

 

10日余りの任務を終え、ラビはコムイに今回の任務報告をしようと司令室の扉をくぐる。

いつも共に行動をしているブックマンは所用で、先に教団に戻っているように言われたのだ。

 全ての報告をすませると、コムイは報告書に目を通しながら口を開く

「ラビ・・・神田くんが昨日こっちに戻っているよ。」

「え?ホントさ?」  ラビの顔は陽がさすように明るくなる

「しかし、大変な怪我を負っている  傷の方はいつもの通りかなりの早さで回復に向かっているが・・・」 

コムイは両肘を机に付き手の甲に顎を乗せて再び口を開く

「なんだか様子がいつもと違うんだ」

「え?いつもと違う?」ラビはこれから告知されようとする言葉に身構える

「医療班が徹夜で検査した結果なんだが・・・」

コムイは伏せ眼がちの視線をいっきにラビに向けた

「記憶がないらしい・・・」

「き・・・記憶?」 ラビの顔が引きつった

「どうやら記憶喪失みたい」

「!!!!!」 ラビは眼を見開き、コムイの机に両手を突いて身体を乗り出した

「何・・・何て言ったさ!コムイ!今・・・何て・・・」

ラビは自分の顔から血の気が引いていくのを感じた

「ラビ、落ち着いて  記憶喪失と言っても全てを覚えてない訳ではないんだ

断片的に記憶が飛んでいるようなんだ だから回復する確率も高い」

コムイは立ち上がり、ラビの方へ進みながら言葉を続ける

「自分が教団に属していること、リナリーや私の事も分かっている。しかし・・・」

コムイは呆然と人形のように立ち尽くしているラビの正面に立ち、真っ直ぐラビの眼をみる

「いくつか飛んでる記憶の中にラビ・・・キミの記憶も神田くんの中で飛んでしまっている」

ラビの視線はふらふらと泳ぎ始め、力なくうつむいた

身体の両脇にぶる下がった両腕に、力が入り拳をきつく握る

「そんな・・・嘘だろ コムイ・・・帰ってくるなり冗談キツイさ・・・」

コムイがこんな冗談を思いつく人間ではない事くらい分かってる

しかし、冗談だよって言ってほしかった

「ラビ・・・」 コムイは申し訳なさそうに俯く

「なぁ コムイ ユウに面会できる?」 言葉の端が震えるのが分かる

「あぁ 医療班にラビが帰ったら面会させるように言ってあるよ」

「あ・・・ありがとさ」 

ラビは両手の拳をさらに強く握り締めると、くるっと身体を翻し司令室を後にした

司令室の扉を閉めると、大きく息を吸い込み医療室へと廊下を走り出す

(ユウ・・・ユウ・・・どうして・・・)

 

 

目の前には医療室の扉

ハァハァと上がる息を整えるまでしばらく扉の前でたたずんでいた

走ってきた為なのか、動揺している為なのか、なかなか呼吸を整えることができない

コムイが言った言葉が頭の中をグルグルと駆け回る

 

≪ラビ、キミの記憶も 彼の中で 飛んでいる≫

 

窮屈に感じ、団服の前ファスナーを下ろし、頭に巻いているターバンを首へ下ろす

大きく息を吸い込み右手を扉のノブにかけそっと扉を押す

いつ来ても異様な雰囲気

消毒液の臭いが鼻につく

ラビの姿を見つけて一人の医療班の人間が歩み寄ってきた

「ラビさん お疲れ様です」と言い彼はラビに向かって頭を下げた

「ユウは?」

「神田さんは奥のベッドで休んでますよ」

「コムイから聞いたさ 面会していいかな?」

「ええ 構いませんよ ご案内しましょう 神田さんの部屋は個室ですから、一番奥になります」

彼は白衣を翻し歩き始めた

医療室はこれでも結構広い。 検査室、治療室、製薬室 研究室など部屋がいくつも分かれている

神田がいる患者用の部屋はかなり奥の方にあった

前を歩く白衣の彼は「ここですよ」と言って足を止めた

彼は2.3度ノックをした後、扉を開け中に入っていった

ラビもゆっくりと彼に続く。神田に会える喜びと不安が入り混じりあって、心臓の鼓動がうるさいほど波打った

「神田さん、面会にラビさんがみえましたよ」

そう言いながら、白衣の彼はベッドの脇にある窓を少し開けた

そして、足早にラビの横を通りすぎ「何かあったら呼んでくださいね」と言い、扉をゆっくり閉めた

ラビは「ありがとさ」と彼に優しく礼を言い、扉が閉まったのを確認したあとベッドの方へ向き直る

(ユウ・・・)

神田はリクライニングされたベッドの上で上半身を起こし、書物を読んでいたのか手には本を持っている。

 

そしてラビの方をじっと見つめている

ラビもそんな神田を見つめ、ゆっくりと神田のいるベッドへ足を進めた

コツコツとブーツの音が響く。

なんて声をかけたらいいのか分からず、ベッドの横に立ち神田を見おろす。

とりあえず名前を呼んでみる

「ユウ・・・」

しかし神田は返事もせず視線を書物に向ける

「ユウ 大丈夫?」もう一度声をかける

「お前・・・どこから来た どうして俺を下の名で呼ぶ」神田は書物に視線を向けたまま問う

「どこって・・・さっき任務から帰ってきたさ 名前は・・・ずっとユウって呼んでるさ」

「任務・・・ってことはお前もエクソシストか?」神田は書物から視線をラビへ移す

警戒しているのか、向けられた鋭い神田の眼はいつもラビを見る眼ではなかった

この眼――ラビがはじめて教団に来て、神田に声をかけたとき「新入りか」の言葉と一緒に

向けられた眼と一緒だった

「そうさ ラビだよ エクソシストもしてるけどブックマンJrのラビさ」

ラビは言葉強く言い放つ

エクソシスト・・・確かに団服を着ている

「ラビ・・・ブックマン・・・さっきコムイの奴が言ってたことはお前のことか・・・」

ラビの名を聞いた後、鋭かった神田の眼差しは和み、独り言のように神田は呟く

「ユウ、ホントにオレの事 分からない?覚えてない?」

ラビは少しこごんで神田の視線の位置に合わせて問う

「あぁ すまないな お前が誰だか思い出せない  でも コムイが言っていた。俺とお前 仲が良かったみたいだな」

ラビはハッとして顔を上げる

「そうさ・・・仲良いなんて・・・もんじゃ・・・ないさ」

ラビの瞳から一筋の雫が流れ落ちる

任務に出る10日前の前夜は、ふたり肌を寄せ合い、 髪を撫で、 唇を重ね、

これでもかという位、お互いを求め身体を重ねひとつになり抱き合ったのに・・・

やるせない気持ちがラビを襲う

「お前 泣いてんのか?」神田はすすり声のラビを見つめる

「・・・・・」ラビは俯いたまま小さく震え拳を強く握る

「何故 泣く」神田はラビを覗き込んで、強く握られたラビの右手の拳を包むように

手を差し伸べた

「ユウ?」

神田の手のぬくもりを感じ、ラビはもう片方の手で自分の拳の上に置かれた神田の手を包み込む

この現実をどう受け止めて良いのか、ラビは戸惑い愛しい人の手をただ握る事しか

今は出来なかった

ラビは何も言わず、しばらく神田の手を握りしめていた

今のこの状況を神田は不思議に思いつつ、現在記憶にないこの男と記憶にあったころは、

相当意味の深い間柄だったんだろうと思った

ふたりの間に沈黙が流れる

ラビは神田の手を包み込んだ自分の右手を額につけ、そして唇へと押し当てた

いつもなら何てことないラビの行為だが、記憶がない今の神田には流石に気味悪く思ったのか

手に力を入れラビの手から離れようとした

「手・・・離せ!」

神田の言葉がいつもと違って冷淡に聞こえたラビは、我に返ったように眼を見開き

「ごめんさ」と慌てて神田の手を離した

「い、いや 少し驚いただけだ」

神田は少し頬を赤らめ俯いた 

「ぁ・・・と・・・ユウ・・・疲れたっしょ

 オレ もう行くさ」

ラビの言葉に神田は顔を上げ、ラビに視線を向ける

見つめられた視線は先ほどとは大きく違い、とても優しい眼差しへと変わっていた

そんな神田の黒く潤んだ瞳をラビは切なく見つめた

もう少しこの瞳を見ていたかったが、ラビは身体の向きを変え扉の方へ歩き出す

そんなラビの背中をずっと神田は見つめていた

一度も振り返ることなくラビは部屋を後にし、ゆっくりと閉めた扉に背を向けもたれ掛かり

天を仰ぐように顎を上げ瞼を閉じる

「ユウ・・・」小さく呟くと同時に、身体を支える二本の足が大きく二つに折れ、背中は扉を

擦りながら地面へ向かい彼はしゃがみ込む

力なく両腕は膝を抱え込み、腕に顔を埋め声を殺して涙した。

抑えようにも流れてくる涙を今、受け止めなければならない現実に打ちひしがれる

急に遠くに行ってしまった 愛しい人 大切な人 

張り裂けそうな思いと戦うにはあまりにも力不足だった

 

神田は静かに閉まった扉をしばらく目で追っていた

数分前、あの扉から入ってきた男が「ラビ」と名乗った時、ずっと警戒していた気持ちが

和んでいくのが分かった そして、どこか安心している自分がいた

ずっと長い間会ってなかった大切な人間にやっと会うことができた・・・そんな感覚が

神田の体中を駆け巡ったのだ

ラビの手に包まれ、かすかにラビの唇が触れた手をひろげて見つめる

「あいつ・・・いったい・・・」

思い出したい   あの男   ラビを

記憶のあった頃、自分はどんな思いで彼に接していたのか

どんな風に彼を思っていたのか どんな存在だったのか

思い出したい  神田は強く思うのだった

 

 

 

翌朝、眼を覚ましたラビはベッドの上から窓の外をぼんやりと眺める

昨夜は寝てしまえば気分も落ち着くであろうと、早めにベッドにもぐりこんだが

眠るどころか、なかなか寝付けず

結局、寝不足の眼を擦ることになる

昨夜、任務から教団に戻って何も口にしていないことに改めて気づき

何か食べないといけないと思いベッドから出ると、洗面所へ向かい軽く顔を洗い

何も着けてない上半身にシャツをまとい部屋を出た

重々しく廊下を歩きながら食堂へ向かう

すれ違う人間からは「よう!ラビおはよう!」などと声をかけられるものの、気のない返事に

誰もが今日のラビはなんか変だと思った

食堂はさすがに朝食を取る者で人が多くいた

「あ~ら ラビちゃん、帰ってたのね~」

シェフのジェニーが相変わらずのテンションでオーダーを求めてくる

「や、やぁ ジェニーは今日も元気さ」

「ラビちゃんは元気じゃないの?」

ジェニーは身体を乗り出してラビの顔を覗き込む。

「げ・・・元気さ・・・」

ラビは慌てて元気な素振りで笑顔を作って見せた。

オーダーした食事を受け取り空いている席に座る。

大きな溜め息をつきながらフォークを手に持ち一口づつ口へ運ぶ。

溜め息をついては食事を口に運ぶの繰り返しで一向に進まない。

「ここ、座っていい?」

ハッと声のする方に視線を向けると、リナリーが食事を載せたトレーを持って立っていた。

「ああ いいさ」

独りでいたかったが、少しは気がまぎれると思ったラビはリナリーに笑顔を向けた。

「兄さんから聞いたわ 神田のこと」

リナリーはラビの向かい側に腰を下ろしたと同時に言葉をかける

「・・・・・」やはりこの話しになるんだな・・・とラビは食事を続ける

「ラビになんて言ったらいいか・・・」

「別に何もいわなくていいさ」

いつも天真爛漫のラビが ひとが変わったように殻に閉じこもっているようにみえる。

「でも、何もかも記憶がないわけじゃなから、思い出す可能性は十分にあるって

 兄さんも医療班も言ってるわ」

「あぁ それはコムイが言ってるの聞いたさ」

ラビは「はぁ」と大きく溜め息をつくと、持っていたフォークを皿の上に置き水の入っている

グラスを口元に持っていくと、中の水を一気に飲み干した。

リナリーはその様をまじまじと口を動かしながら見ていた。

「なぁ リナリー、今ユウはどうしてるんさ?」

「今日はまだ医療室にいると思うわ もう一度検査をしてから部屋に戻すようなことを

 兄さんが言っているのが聞こえたから・・・」

リナリーは口の中のものを呑み込んでから答えた。

「そう・・・」ラビは空になったグラスを見つめる。

「会いたいの?」リナリーの問いにラビの視線はリナリーに向けられる。

「まぁ・・・ね」そう言ってニッコリ笑みを作ってみるものの、リナリーにはその笑みが無理して

いることがすぐに解かった。

「面会・・・頼んでみようか?」

「いや、昨日面会はしたさ。それから気分はサイテーだし・・・」

ラビは再び大きく溜め息をつく。

「ねぇラビ、任務は?」

「しばらくないさ。 じじぃが所要でしばらく教団に戻らないからその間は教団の書庫

資料とにらめっこかな・・・」ラビは頬杖をつき空のグラスの底を小さな円を描くように、机の上で回し始める。

「そう。よかったわ」リナリーの嬉しそうな声にラビは顔を上げる。

「?」

「神田もあの調子じゃしばらく任務はないはずよ。 2人で話しをたくさんするといいわ

 そうすれば、少しずつ神田の記憶ももどるんじゃないかしら・・・」

「話し・・・か・・・」

「神田が記憶をなくす前みたいにいつもの様に話しをして、接していればいいと思うわ」

「・・・・・」

リナリーは最後のサラダを食し終えると、ナプキンで口元を拭きさらに言葉を続ける。

「無理に思い出させようとすると、かえって逆効果になるケースもあるらしいから

いつものラビでいいのよ」

「いつもの・・・オレ?」

「そうよ。いつまでもへこんでる時間はないんだから・・・しっかりしてよ ラビ!」

言われてみればそうなのだ。今はブックマンが戻ってないから任務に就くこともなく

教団に居られるが、その時間も長い時間とは限らない。

AKUMAの状況によっては、ブックマンが居ようが居まいがエクソシストである以上

任務に出されるのはあたりまえなのだから・・・。

 

ひとりの探索部隊が、リナリーの名を呼びながら歩み寄ってきた。

「リナリーさん、室長がお呼びです。どうやら任務のようですよ

 同行なさるアレンさんはもう司令室にいらっしゃってます」

「ありがとう。すぐ行くわ」

探索部隊に礼を言うとリナリーは立ち上がった。

「神田とラビが任務につけない分、アレンくんと2人で頑張ってくるから ラビもしっかりね!」

リナリーは本当に強い、自分より年下でしかも女の子なのにしっかりしている。

リナリーの後ろ姿を見送りながらラビは思った。

再び頬杖を付き溜め息混じりに苦笑した。

「リナリーの方が姉さんみたいだ・・・まいったな・・・」

 

 

食事を終えたラビは自室に戻り、再びベッドに身をなげる。

ぼーっと頭の中でいろいろ考えているうちに、ウトウトとうたた寝をしてしまったらしい

気が付いて時計をみたら昼を過ぎていた。

何もする気が起きないが、ブックマンから言われている資料に目を通しておかなければと

書庫に向かうことにした。

全世界の様々な資料がぎっしりと収められてる書庫内はかなり広い。

天井も高く窓も大きく静粛の中にも明るい雰囲気があった。

ラビがここを利用するのは今日が初めてではないが、幼い頃から書物と深く関わって

いるので、こうして書物に囲まれた空間にいると心から落ち着くことができた。

何冊かの資料や書物を胸にかかえ、それらを窓際のテーブルの上に置き椅子に腰掛け、ペラペラと

ページをめくり要点はメモをした。

小1時間 した頃、コツコツと静粛の室内に足音が響いた。

しばらくその足音は書庫内を響きわたらせていたが、しばらくすると

足音はラビの横で止まった。

視線をそちらに向けると、白衣を纏った男が突っ立っていた。

「あのぅ・・・ラビさん」とラビの顔を覗き込んでいる。

「どうしたさ?」ラビは身体ごと白衣の男の方へ向いた。

「私、医療班の者です。 神田さんに頼まれて本を探しにきたんですが・・・」

「ははあぁん。こんなに本があると何処にあるのかわかんねぇってやつか?」

ラビは椅子の背もたれに肘をかけ顎を乗せる。

「は、はい・・・」

医療班の彼はうっすら顔を赤らめる

「で、ユウはどんなのがほしいって?」

医療班の彼はメモ書きをラビに渡した。

「OK! オレが探してユウに持って行くさ」

「す、すみません・・・お忙しいのに・・・」

医療班の彼は何度も何度もラビに頭を下げ、書庫を後にした。

ラビは受け取ったメモ書きをじっとみつめる。

(ユウの字だ・・・)

神田の書いた文字を見ただけで、こんなにも胸が熱くなるなんて・・・

 

 

思いがけなく神田と会うことになったのが、嬉しいのかそうでないのか、とても複雑な

気分だった。

メモ書きに書かれた本の題名は、以前自分も好きでよく読んでいた本だったので、すぐに見つけだす

ことができた。

(この本読んでるとよくユウが邪魔してきたっけ・・・でも、なんでこの本をユウが読みたい

なんていったのかな? ユウは多分読めないと思うんだが・・・)

その本を手に取り、しばらく書庫の窓から青い空をただ見つめ、神田の仕草と温もりを

想い浮かべていた。

 

 

リナリーはいつものラビでいろと言っていた。

神田と今まで通りの話しをしろと・・・しかし、リナリーはラビと神田の関係を仲間である

以上その先のことは知るよしもない。

神田に対する感情が『仲間』とか『親友』とかだったらどんなにかラクなことか。

心から愛する人が、突然自分への愛すらも忘れてしまっているのだ。

今まで通り神田と接するなんてラビにはとうてい考えられないことだった。

神田を目の前にすればきっと触れたくなる、抱きしめたくなるに違いない。

しかし、現在自分の記憶がない神田にそのような行為をしたら、軽蔑されるのは目に見えている。

 

ラビは机の上に広げていた資料や書物を片付けると、神田に渡す本を手に持ちゆっくりと

医療室へと向かった。

 

 

 

昨日も来た医療室の中の一番奥の部屋。

ラビは扉の前でたたずんでいた。

昨日ほど動揺した気持ちはないものの、心はまだ落ち着いていない。

一呼吸して扉のノブに手を掛けそっと扉を押し開けた。

窓が開け放たれた明るい室内に、神田は窓辺に立ち外を眺めていた。

ラビが部屋に入ってくると、神田の視線はラビへと向けられた。

「ユウ・・・」ラビはニッコリと微笑んでみる。

「お前、昨日の・・・」

「ラビだよ 名前 覚えてほしいさ」

「あぁ すまない ラ・・・ビ」 神田の声は昨日とうって変わって、かなり優しく

変わっていた。

「これ、医療班の人に頼まれて・・・」とラビは本を神田に差し出した。

「悪いな 手間かけさせて・・・そこへ置いといてくれ」

そう言って神田はベットの脇にあるテーブルを指差した。

ラビは言われた通りにテーブルの上に本を置く。

「おい・・・あ、ラビ」神田に呼ばれてラビの顔がうっすらと赤く染まる。

「なんさ?」

「こっちへ来てみろ」神田は顎をしゃくって合図する。

「え?」意外な言葉にラビは目を丸くする。

「早く!」神田はじれったそうに眉をよせる。

「あ、あぁ」慌ててラビは神田のいる窓辺へ足を向け神田の隣に立った。

「見てみろよ。野鳥の親子だ」神田は窓のすぐそばにそびえ立つ大樹の枝を指差した。

枝と枝の合間に巣があり、親子らしき鳥が3羽見える。

「うわぁ ほんとさ!かわいいなぁ」

「だろ?あんなに小さいのに生きている」

ふと、横を見ると神田の横顔は陽に照らされ赤みを帯びほころんでいる。

ラビは鳥よりもそんな神田が眩しくて可愛く見え、胸がキュンと痛んだ。

(こんなの・・・残酷さ・・・)

そよそよと窓から流れる風に、神田の黒い髪がラビの横で舞っている

(ユウ・・・ユウ・・・今、ここで抱きしめることができたら・・・

 あぁ 胸が潰れそうさ・・・)

ラビは拳を握り俯いた。

そんなラビの気持ちに気づくことなく、神田は流れる黒髪を手で押さえながらラビの顔を

覗きこんだ。

「どうした?気分でも悪いのか?」

「い、いや・・・ねぇユウ オ、オレ・・・今すっごく我慢してることがあるんさ・・・」

ラビは俯きながらやっとの思いで言葉にする。

言葉の端々が震えていたことに、神田は気づいただろうか。

「?」神田はさらにラビに近づき心配そうにラビの肩に手を置き「何だ?」と訊ねた。

肩に置かれた細くしなやかな手さえもラビの心を苦しめる。

硬く口をつぐんで俯いているラビに神田は少しいらだってきたようで、さっきより強い口調になる。

「はっきり言ってみろよ 俺にできることなら協力するぞ」

(ユウ・・・そんな 俺にできることって・・・ただ、抱きしめたいだけなんさ

 でも これを言ったら・・・きっと・・・)

ラビの心の葛藤は続く。

「あ・・・その・・・いや もういいんさ」ラビは小さな声で答える

「はぁ?んな訳ねぇだろ そこまで言いかけて 気になるだろうが!」

以前、いつも話してる時の口調になってきた神田をラビは何となく嬉しく思い、顔を上げ

彼を見た。 

かなり近い距離にあった神田の視線。

相変わらず潤んだ黒い瞳に、制御しているラビの心が崩れそうになる。

ラビは自分の肩に置かれた神田の手を握りしめ、自分の胸に押し当てた。

「ユウ ごめん 今はやっぱ言えない  そのうち話すさ」

小さく息を吐き、俯いた彼の赤髪がしな垂れた。

「お前、俺が記憶をなくして凄く苦しんでるんじゃないか」

神田は眼の前の赤髪を見つめ、静かに問う。

はっとしたラビは神田の瞳を再びみつめるが、吸い込まれそうなその瞳に言葉が詰まる。

「え?いや・・・その・・・そんな事ないさ」。

うまくごまかそうと思っても口ごもってしまう

神田は洞察力が良いし、カンも鋭いからきっと見抜かれてるに違いない

「ユウ ごめんさ 心配かけちゃったね オレもう戻るさ」。

ラビは神田の手を離し、素早く扉に足を向けた。

ラビの手が、扉のノブに手を掛けると後ろから神田の声がした。

「また・・・話せるか?」

ラビは神田の言葉に振り向き、自然に笑みがこぼれた。

「もちろんさ」

 

 

医療室を出て、ラビは廊下の手すりに肘をかけ、今さっきあった神田との会話を思い出していた

神田の口から出る11つの言葉や仕草、自分に向けられた瞳、神田の細かい動作の全てが

切なく思う

しかし、神田からまた会いたい様な言葉を言われたのには、神田も自分を思い出す努力をして

くれているのだと感じ、少し進歩しているのだと思った。

心のブレーキを掛けているのはかなり辛いが、焦ってはいけないんだと強く感じた。

リナリーの言ってたことはやはり本当なのだ。

話しをする・・・・

「ここは踏ん張り時かな」溜め息混じりに呟いた。

 

「あれ? そんなところで独り言?」

背後から聞きなれた声がした。

振り向くと、書類を小脇に抱えて両手を白い教団服のポケットに突っ込みニヤニヤと笑みを浮かべながら

コムイが立っていた。

「コムイ・・・」

「神田くんには会ってきた?」

「あぁ・・・」ラビは再び手すりに掛けてる自分の腕に顎を乗せる。

「キミに良いニュースがあるよ」

そう言ってコムイはラビの隣に歩み寄り手すりに寄りかかる。

「神田くん キミとの記憶を戻そうと頑張ってるよ

 キミのことをしつこいくらいに聞いて来るんだ」

「え? それ ほんとさ?」ラビは上体を起こしコムイのほうへ向きなおる。

「あぁ 傷の回復ほど早くはないが、記憶の方も思ってたより早いペースで取り戻して

 いるよ」

コムイは眼鏡のブリッジに中指をあて、言葉を続ける。

「どんどん彼と話しをしてみるといいかもね。

 キミは辛いだろうし、はがゆいだろうけど頑張ってみて」

コムイはラビを見てニッコリ笑みを作る。

「リナリーも同じことを言ってたさ 話ししろって・・・」

「ははは、そう? さすがボクのリナリーだ。

 でも、神田くんってたいした男だね ブックマンとしてキミの記録にしっかり記して

 おいた方がいいな」

コムイの言葉にドッキリし、ラビは眼を見開いた。

「明日には神田くんも自分の部屋に戻れると思うから話しに行ってやって」

コムイはそう言うと、先ほどラビが出てきた医療室の扉を開け中に入っていった。

ラビはコムイを見送りながら右手で小さくガッツポーズを作り、自分を励ましゆっくりと

もと来た廊下を歩き出した。

 

 

 

赤い髪がドアの向こうへ見えなくなった後、神田はベッドの脇のテーブルに置かれた一冊の本を

手にし、ベッドへ腰かけた。

一日中、この部屋に閉じ込められ退屈でしょうと、医療班の人間が何か本でも持ってくると気を使って

くれたのだ。

何か読みたいものはあるかと問われた時、とっさに出たこの本の題名。

もちろん 自分は読んだ事ないが、すごく身近にいた人物がいつもこの本を読んでいたのを

覚えていたのだ。

その人物が誰だったかは思い出せないが、フランス語で書かれたこの本は記憶にあった。

「フランス語なんて 俺 読めないのにな・・・」

そう呟きながらペラペラとページをめくっていたら、2つに折られた紙切れが入っていた。

広げてみると、どこかで見たような文字が並べられている。

「この字 よくみていたような・・・」

そう思いながら書かれている内容を読んでみる。

 

 『 この本、オレが好きでよく読んでた本さ

  ユウはよくちゃかして、同じ本を何度も読んでお前は暇人だって言ってたんだ

  フランス語 ユウ読めないっしょ

  オレが一緒に読んであげるさ』

 

短い文章だが、神田は読み終えると堅く瞼を閉じた。

この見覚えのある文字は、ラビの文字だったのだ。

神田は、胸の奥から湧き出るような何とも言えない感情に驚いていた

ほんの少し、本当に少し、ラビの事を思い出したようで、高揚した気持ちに頬が火照ってくる。

そして、3度程この紙切れの文章を読んだ。

紙切れを持つ手が知らずに震えていた。

今さっきまで、ここにいた赤い髪の男の言葉や仕草を思い出す。

彼にこの高まる気持ちを伝えなければと、神田の気持ちは 急く ( せく )

こんな小さな事に首をかしげられそうだが、いても立ってもいられない衝動にかられ

神田は無意識に立ち上がり、扉のノブに手を掛けていた。

外出許可はまだ出ていないが、神田の行動は止まらず、扉を思いっきり開けると部屋を

飛び出していた。

医療班の人間が、いっせいに神田を見つけるなり「神田さん!駄目ですよ!」と叫び

こちらに向かってくる。

神田はそんなことはお構い無しに、医療室の扉を開けようと手を伸ばした。

 

と、その時タイミングよく扉は自動ドアのように勝手に開いたように思えたが、コムイが扉を開け、

入ってきたのだ。

驚いた神田はその場に立ちつくし、目を大きく見開きコムイを見つめる

(連れ戻される!)

とっさにそう思った神田は、力ずくでコムイの横をすり抜けようとした。

しかし、想像していたコムイの行動はあっさりと裏切られる。

「ラビに会いにいくのかい?」とニッコリする。

何で分かるのだというような顔をして、神田は振り返る。

「話しが済んだら戻ってきてよ 検査が残ってるんだから」。

コムイは軽い口調で言いながら、片目をつぶりウィンクする。

「す、すまない・・・」

神田は素早く扉を突っ切り、医療室を出た。

ラビはどこに居るんだろう。

この広い教団内をどう探そうかと、神田の心配は医療室を出たとたん一瞬で消された。

長い廊下の先を目で追うと、100メートル程先に赤い髪がユラユラと揺れているのが見えた。

神田は走りながら彼の名を呼んだ。

「ラビっ!ラビっ!」

自分の名を呼ぶ声にラビは振り向くと、思ってもない光景に驚いて身体が動かなくなった。

自分の名をしきりに呼びながら、必死に駆けてくる神田が視界に入ってきたのだ。

走り寄って行きたいところだが、身体がどうにも動かない。

だんだんと近付いてくる神田をただ呆然と見ていた。

息を上げながら神田はラビの前にたどり着く。

走る事には慣れてはいるものの、自分の高揚する気持ちが邪魔をして、動悸を早くする

ので呼吸がなかなか整わない

「ラ・・・ラビ・・・」

大きく口で息を吐きながら、神田はラビを見つめた。

「ユウ!」目の前で、息を切らして自分の名前を呼ぶ神田にどうしたらいいのか分からず、

ラビはかなり動揺し、神田の肩に両手を置き「どうしたんさ!外に出ちゃ駄目さ!

こんなに走って・・・」と言葉と共に肩を大きく揺さぶった。

それでも、神田を見つめる緑の瞳は優しく切なげだ。

「ラビ・・・ラビ・・・俺・・・」

神田は大きく息を吸い込み、その緑の瞳を真っ直ぐに見つめる。

言いたい気持ちを早く伝えたいのに、どう言葉にしたら良いのか分からず、呼吸が整うのを待つかの

様に言葉を捜している。

それでも ( ) く気持ちが、ラビの名を呼ぶ事で押さえられていた。

「ラビ・・・・」

どうにも自分がじれったくなってくる神田を見かねてか、ラビは優しく神田の名を呼んだ。

「ユウ・・・」

神田はラビの腕を掴んでようやく言葉を告げる。

「ラビ お前の字・・・覚えてたんだ」

そして、握りしめていた手のひらからラビに紙切れを見せる。

「この字を見たとき 思い出したんだ・・・お前の字だって」

上手く言葉になってなくてラビに通じているのか不安になるが、ラビはニッコリ微笑んで

「ユウ 嬉しいさ 少しでも思い出してくれたんだね」と言葉を返してくれた。

本当に小さな事だったが、ラビにとって心の底から神田の言葉や、

自分を追いかけてきてくれた彼の気持ちが嬉しくてたまらなく、今にも全身の力が抜けそうだった。

神田は尚も言葉を続ける。

「俺、フランス語 読めないのに医療班の奴から何が読みたいのか聞かれた時、

 とっさにあの本の題名を言ってたんだ

 身近にいた奴がいつもいつも読んでいたのを覚えてたんだ

 それって・・・お前だったんだよな・・・」

神田の視線はラビの瞳を捕らえて離さない。

ラビの瞳は愛おしげに神田の瞳を見つめている。

「なぁ・・・フランス語 一緒に読んでくれないか?」

「ユウ・・・」

(あぁ 神様 夢じゃないよね ユウを抱きしめてもいいですか?)

ラビの瞳から一筋の涙が頬を伝った。

そして何を迷うことなく、神田を自分の胸に引き寄せ強く抱きしめていた。

ラビは神田の肩に顔を埋め、神田の細く華奢な身体の感覚とシャツから伝わる体温を懐かしく

感じていた。

涙は止まることを忘れたかの様にラビの瞳を濡らしている。

神田も、ラビに抱きしめられても嫌がるそぶりをみせるどころか、ラビの肩に顔を埋め

腕をラビの背中にまわした。

こうしてラビに抱きしめられてる感覚も、今日が初めてではないように感じていた。

かすかに香る彼の匂いが、懐かしささえも連れてきている。

そして何よりも心が安らいでいくのが分かった。

不思議だった。

しばらくの間、2人はお互いの心臓の音を感じ合っていた。

沈黙を破ったのはラビの方だった。

「ねぇ ユウ オレ 今すっげードキドキしてるさ うれしくてドキドキしてる」

「・・・・・」

神田は何も言わず、ラビの背中に回している腕に力を入れた。

「え?ねぇ ユウ・・・ちゃ・・・ん?」

ラビは、思わぬ神田からの抱擁に少し戸惑った。

「ねぇ ユウ 大丈夫?」

「あぁ 何か不思議なんだ。こうしているととても落ち着く・・・」

「焦る事ないさ 少しずつでいい オレはいつも 傍にいるさ」

ラビは神田の耳元で声低く囁き、神田の耳朶を軽く噛んだ。

「すまない・・・本当に・・・」

神田は噛まれた耳朶をくすぐったそうに身をよじる。

「いいんさ。フランス語、一緒に読むさ。

 明日からユウの部屋に行っていい?」

「あぁ 頼むよ」

「そろそろ戻らないと、コムイがうるさいさ」

そう言うと、ラビは神田の身体を自分から離し、神田の両肩に手を置いて彼の顔を覗き込む。

そして、記憶のない彼に今は言葉にできないが、翡翠色の瞳は黒漆色の瞳に告げた。

 

-------ユウ 好きだよ--------

 

ラビは、そのまま神田の肩を抱き、コムイのいる医療室に身体の向きを変え神田を促した。

 

 

 

翌日、陽の光が窓から差し込む明るさで、ラビは眼を覚ました。

陽の高さから、もう昼近くになるんではないかと思いながら、上半身を起こす。

昨夜は思いもよらない展開に、かなり気持ちが動揺して、なかなか寝付けなかった。

(はぁ~ユウが記憶をなくしてから、オレあんまり寝てないかも・・・)

そんな事を心の中で呟き、ベットのふちに座り込み両手を広げてみる。

昨日、抱きしめた神田の温もりが、まだ手のひらに残っているようだった。

神田が記憶をなくしてからというもの、自分はいかに彼への想いが強いかと言う事が解かったのだ。

どんなに神田が大切な存在なのかと・・・

(ユウはもう部屋にもどったかな・・・)

神田の事は気になっていたが、ブックマンから言い渡された課題が、まだ残っていたので、

それを終わらせてから神田の部屋に寄ってみようと思い、着替えを済ませてから数冊の

本を抱え書庫に向かった。

 

書庫に向かう途中、廊下でジョニーとすれちがう。

「よう!ジョニー」ラビは片手を挙げ挨拶をする。

「あ、ラビ またお勉強かい?」

ラビの背丈よりかなり低い彼はラビを見上げている。

「まぁね じじぃがうるさいからさ」

「上の奴がうるさいと、お互い苦労するな」

「えへへ・・・」苦笑するラビ。

「そうそう、神田が自分の部屋に戻ったらしいぞ」

「ホント?」ラビは腰を曲げ、ジョニーに目線を合わせる。

「いってやれよ。それ 終わったら」

ジョニーはラビが抱えている本を指差して微笑んだ。

「うん、ありがとさ」

「あ~いいねぇ~ 青春!青春!」

鼻歌のように言いながら、ジョニーは廊下を歩き出した。

(ユウ・・・戻ってきてるんだ・・・)

今すぐ回れ右をして神田の部屋に行きたいところだが、やるべき事を早く済ませてしまおう

と、足早に書庫へ向かった。

 

 

早く済ませたいと思っている時に限ってそうはいかない。

人生意地悪くできているものだ。

ブックマンに課せられた課題はやってみると奥が深く、1つの課題にかなりの時間を費やしてしまった。

それが、何課題もあるのだ。

気がついてみると窓の外は夕陽で染まり始めていた。

それにラビの腹の虫もかなり鳴いていた。

(はぁ~腹へったさぁ~ ま、ユウんとこ行ってユウと一緒にメシ食ってもいいか)

机の上に広げている資料をかたずけ、神田の部屋に向かった。

 

 

 

久し振りにこの扉の前に立つ。

前回この扉の前に来た時は、神田が記憶をなくす前だったと懐かしく思う。

右手で軽くノックする。

しかし、何の応答もない。

(あれ?いないのかな?)

もう一度ノックをする、と同時にカチャと鍵が解かれる音と共に扉が少し開く。

「誰だ」

「オレ・・・ラビさ」

ラビの声を聞くと扉は大きく開かれ、神田の姿が眼の前に現われる。

ラビは神田の顔を見てニッコリする。

神田も口端を少し上げ、照れくさそうに微笑む。

昨日、ラビへのとっさの行動にいささか照れがあった神田はすぐに身体を翻し、

部屋の奥へと入っていく。

ラビも続いて部屋の中に入っていった。

いつもと変わらぬ部屋の中。

「何処でも好きなとこに座っていいぞ」

神田はベットに腰掛て、もう一言付け加える。

「何もないけどな・・・」

ラビは「ありがとさ」と礼を言い「ユウの隣に座っていい?」と問う。

神田は「あぁ」と頷く。

ラビは神田の横に腰を下ろすと「部屋に戻れてよかったさ」とニッコリする。

「戻ったところで何する訳でもねぇけどな・・・」

神田は膝の上に両肘をのせ、手の甲に顎をのせる。

「・・・で、今まで何もしてなかったんさ?」

「そんな事はないが・・・お前が来ると思って・・・」

神田は立ち上がり、例のフランス語の本を机の上から持ってくる。

そして、再びラビの隣に腰を下ろす。

「待っててくれたんさ?」

「まぁな・・・」

待っててくれたという事に、ラビは大層心を躍らされた。

こんな事なら、書庫に向かう前に顔だけでも出しておけばよかった。

「待たせてごめんさ。じじぃ・・・あ・・・オレの師なんだけど、

 課題出されてたんで、そっち片付けてた」

「やる事は、先に終わらせておいた方がいい」

神田は本を膝に置いたまま、ラビをチラッと見る。

ラビもこちらを見ていて、視線が合うと神田はドキッとして頬を赤らめ俯いてしまう。

「・・・で、その・・・本見せて」

ラビは神田の膝に置かれている本をさっと手にし、ぺらぺらとページを捲りだした。

「懐かしいさぁ これホントによく読んだんだ」

「そんなに良い本なのか?」

「ふふふ・・・オレは好きさ」

神田はラビの捲るページを横から覗き込むように身体を向け、関心したように言う。

「ふ~ん。 でも、よくフランス語なんて読めるな」

「小さい頃から、いろんな国を渡り歩いて来たからさ」

「そうなのか?」

「ブックマンの後継者だからさ、名前もなければ戻る家もないジプシー生活なんさ。」

「名前が・・・ない?」

「あぁ ここで呼ばれているラビってのも49個目の儀名さ。」

記憶があった頃の神田は、ラビのそんな複雑な環境を理解していたが、今の神田には解からない

と思い話してみた。

「そうなのか・・・」

「ラビって名前、結構気にいってんさ。ユウに呼んでもらえる名前だしね」

ラビの隻眼は神田を見つめ微笑んだ。

きっとこいつもいろんな辛い過去を持ち、将来決まった 運命 ( さだめ ) の重荷を背負って生きているのだと、

少ないラビの言葉から神田は受け止める事ができた。

「・・・で、どの位の言葉が解かるんだ?」

神田はこれ以上ラビの身上を聞くことはせず、話しを元に戻した。

「ん~・・・いっぱい!」

「はぁ?」

「でも、ユウの国の言葉は解かんないさぁ。 今度おしえて?」

「いいけど、報酬は高いぜ」

「えー!だってこの本、読んであげるじゃん! これの報酬の方が高いさぁ!」

神田はフフ・・・と吹き出すように微笑むと、「そうだな・・・報酬・・・考えとけよ」

と、ラビを見つめる。

(ユウ・・・)

ラビは戸惑ってしまった。

そんなに潤んだ黒い瞳を笑顔で向けられると、このまま神田を抱きしめたいという衝動にかられる。

ラビは理性を保つ為にも視線を本へと移す。

「か・・・考えとくさ・・・あ、あのさ・・・読み始めて・・・いい・・かな?」

ラビはそーっと神田の方へ伺う様に視線だけを向けてみた。

すると、神田は体勢も、視線も表情も変えることなく、潤んだ黒い瞳をラビに向けている。

「ユ・・・ウ・・・ オレ・・・何か変な事でも・・・言った?」

神田は首を1回横に振ってから

「お前っておもしろいっつーか、たのしい奴だな」と、再び笑みをラビに向ける。

「へ?」

ラビがキョトンと眼を丸くしながら神田の顔を直視する。

「あ・・・ぃゃ・・・いいんだ・・・本・・・」

神田は照れた表情で、ラビの持つ本を小さく指差した。

「あ・・・あぁ・・・よ、読むよ・・・」

ラビは本の最初のページを広げ、一息、深呼吸をする。

ぎこちないながらも、神田とのやり取りに胸が躍っていた。

神田が、記憶をなくす前のような会話が出来ていることに、喜びと安堵がラビの心に

広がっていた。

 

 

数日後、ブックマンはまだ教団に戻っていなかったが、ラビは任務に出る事になった。

任務に向かう前に、神田の顔をひと目見ておきたかったので、出かける支度をした後神田の部屋に向かった。

ドアをノックするといつもの通り、ゆっくりとドアの隙間から神田が顔を出した。

「任務に行くのか?

神田はラビの団服姿をみて小さな声で問う。

「そうさ。まだじじぃが戻らないから余裕こいてたら、今朝コムイに呼ばれたさ」

「そうか・・・」

「すぐ、戻るからさ。そしたらまた本、読むね」

ラビはニッコリと微笑む。

「あぁ、 待ってるぜ」

神田も口尻を上げ、微笑んだ。

ラビは右手に持っていた手袋を握りしめる。

すぐ戻ると言ったものの、一度任務に出掛ければそこは戦場である。

命を落とす可能性も十分あるのだ。

教団に戻ってきて、また神田に会えるとは言い切れない。

ラビは切なげに神田を見つめると、「ねぇ・・・ユウ・・・」と小さく神田を呼んだ。

「ん?」

神田は首をかしげ、ラビを見つめる。

「あのさ・・・」

「なんだ?」

ラビは思いあまったように、神田の身体を自分に引き寄せ抱きしめた。

「お・・・おぃっ!」

「ごめん・・・ごめん・・・ユウ・・・少しでいいからこのままでいさせて・・・」

ラビは神田の肩に顔を埋め神田の名を何度も小さく呟く。

神田の長い黒髪から香る石鹸の香りが、ラビの心を一層切なく苦しめた。

突然ラビに抱きしめられ、神田は驚きのあまり身体に力が入らず、ラビの体温が少しづつ伝わってきて、

ラビに大きく包まれているような感覚になってくる。

神田は両手をそっとラビの背中に回し、小さく声をかける。

「気をつけて行けよ」

「うん・・・」

「生きて帰れよ」

「うん・・・」

ラビから身体を離し、神田の肩に両手を置きながら、彼の顔を覗き込む。

ふたりの視線は絡み合い、神田の長い睫毛が揺れていた。

その長い睫毛にラビはそっと口付ける。

「なっ・・・」

神田は顔を真っ赤に染め、上目使いにラビを見る。

「じゃ、行ってくるさ」

ラビは神田から一歩後ずさり、両手に手袋をはめた。

右の大腿部にはめているベルトに、武器である槌があることを右手を添えて確認すると、

神田に小さく手を振り、身体の向きを変え、長く薄暗い廊下をゆっくりと歩きながら、

教団を後にした。

神田は何とも言えない感情が湧き出る中、ラビの姿が見えなくなるまでたたずんでいた。

 

 

 

 

後編へつづく